カンボジア 04年2月 03年10月に、会社で同期だった森本信一氏の記事が新聞に載った。 彼の先祖が371年前にアンコールワットに落書きを残していたというものであった。 かねて一度は行ってみたいと思っていた所で、これも何かの縁と出かけて見ることにした。 アンコール遺跡群は見ごたえがあった。特にタ・プロームの遺跡を覆う巨大なガジュマロの根は自然と文化とのせめぎ合いの縮図と言う感じで、文化とはある意味で多かれ少なかれ自然破壊なのだということを思い知らされる。 人々は貧しかった。長い内戦が続いてその復興にとりかかったばかりなのだろう。4〜5才の子供が素っ裸で遊んでいるし、学校に行けない子供達がたどたどしい日本語で土産を売りに寄ってくる。 |
アンコール・トムの仏像 |
遺跡を覆うガジュマロの根 |
アンコールワット |
森本右近太夫の落書き |
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急な階段 |
遺跡の向こうに沈む夕陽 |
グアム 04年5月 アーチャンの還暦祝いと称して再び一族でのグアム旅行となった。今回は娘の所の孫が一人増えて総勢10人となった。 前回は息子一家は名古屋空港からの往復で楽だったが、今回は何故か名古屋発着が取れず、成田発着となってしまいちょっと大変だった。 意外と天気に恵まれ海を存分に楽しめた。孫たちが元気に走り回る姿を見ていると自分たちが年をとったことを実感させられる。 アーチャンの還暦祝いは日本料理屋で開いた。1匹1万円超えのヤシガニを奮発し、食卓に並びきらないほどの料理で盛大(?)に祝った。 写真中の「祝還暦」の文字はパソコンで作って日本から持っていったもの。 |
孫たち |
アーチャン |
皆でバーベキュー |
ヤシガニの大皿 |
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乾杯 |
記念撮影 |
スイスハイキング 04年8月 最近オーちゃんは足が大分弱ってきた(膝痛)と騒ぎ出し、足がなんとかなるうちにと言ってスイスへハイキングに行きたいと言い出した。 スイスへ着いた初日、オーちゃんのトランクが出てこないアクシデントが。航空会社がいろいろ調べたが不明。お詫びの下着セットとバッグをもらい取り敢えずホテルへ。ヒースローで載せ損なったのか翌朝早く届いた。 10日間で5回のハイキングがあるコースでちょっときつそうにも思ったが、結構楽しめた旅だった。 雄大なアルプスを間近に見ながらの1〜1.5時間のハイキングはどれもすばらしかった。 又、ミニSLがアルプスを登ってくれるブリエンツ・ロートホルン鉄道が面白く、頂上で一泊したときに見た夕日や高山植物は忘れられないものとなった。 例によって帰国後ビデオを同行者の方にお贈りしたが、TDのS嬢からお礼に珍しいワインを頂戴しうれしかった。 |
氷河特急 |
アイガーに向かってハイキング |
大氷河のすぐ脇を・・・ |
逆さマッタ−ホルン |
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ローとホルン鉄道 |
山頂の夕焼け |
オーロラ紀行 05年2月 普通のビデオでは被写体としては暗すぎることから、あまり興味がなかったオーロラであったが、−20〜30℃の世界を味わってみたいとフィンランドへ出かけた。寒いとビデオやカメラの電池消耗が激しいため、予備の電池や電池に貼れそうなホカロンを10枚以上も用意し、防寒用にセーターや厚い下着等を準備し出かけたが、ちょっとオーバー過ぎた感じだった。 ユッラスという田舎に4日間滞在したが、1,2日目は曇りと雪でオーロラは見えなかったが3日目は21時ころ、4日目は午前2時ころからオーロラをばっちり見ることができた。 アーチャンが一眼レフで撮った写真にはすばらしいオーロラが写っていた。 なお、フィンランドの国内線でオーちゃんは空港当局者から呼び出され地下の預け入れトランクの検査場へ連行され、不審物ありということでトランクを開けるよう指示された。何のことはない4本ほど持っていった予備の電池だった。ライフルの弾にでも見えたのか? |
ホテル玄関のつらら |
オーロラ(3日目) |
オーロラ(3日目) |
オーロラ(4日目) |
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犬ぞり体験 |
スノーシューハイキング |